燕庵修復工事について

燕庵修復工事について

緝熈堂修復工事終了報告

平成二十四年四月より開始した緝熈堂の修復工事を同年十一月末にすべて終了しました。この修復工事についてお知らせいたします。

緝凞堂の沿革

緝熈堂は、十一畳半に一間の床が付き全体で十二畳あり、玄関側に四畳の狭屋の間が付属し、三畳の内玄関と連なっています。緝熈堂の東側には六畳の「学市軒」が壁を隔ててあり、その北側には三畳程の水屋が設けられ、さらにその北側が三畳の表玄関に続いています。ただし、この表玄関は簾がおろされ水屋として使用されていて、玄関は西側に位置する内玄関が使用されています。緝熈堂は、蛤御門の変で家元が全焼した際に見舞いとして本願寺より藪内家に到来した建物です。西本願寺十七代宗主法如上人の居間として使われていた建物で、移築に際しては露地と調和するように手が加えられており、本願寺にあった際とは様子を異にしていると思われます。明治二十一年に時の門主であった明如上人より緝熈堂の再興を祝う懐紙が家元にありますので、この頃家元に移築されてきたものと考えられています。緝熈堂は現在、家元の主座敷として使用されていて、茶会の際には主に薄茶席にされます。

修復工事前の概況

緝熈堂は、明治の移築以降大規模な修復工事は行われていません。但し、昭和五十八年に昭和五十七年~五十八年にかけて屋根の葺き替えをおこなっています。緝熈堂の問題として襖の嵌め外しをおこなっているとスムーズに入らない箇所があり、長押の下がりや、床部分の不陸(床面の水平が歪んでいること)が指摘され、詳細な調査を行いました。調査の結果、亡指と緝熈堂の境部分を基準として計測したところ緝熈堂の水屋部分が四十六ミリ、学市軒南側が五十二ミリ下っていることが判明しました。また床下も著しく腐朽が進んでいる部分があり、早急な修復工事の必要性がみとめられました。

緝熈堂は、建物自体は文化財に指定を受けていないものの、庭園建物一体が、国の名勝に指定されていることから、慎重な工事が必要と判断し、三月に専門家と市・府の関係者と協議し、指定文化財に準じた慎重な工事を行うこととしました。

緝熈堂修復工事の実際

緝熈堂の修復工事の内容は次の通りです。

(1) 基礎部分の補強
修復の目的は建物の不陸の調整であることから、沈下している箇所の根本である基礎部分にも手を加えることとなりました。当初は礎石部分をベタ基礎とすることも検討されましたが、文化財工事に準じて行うこととなったため、外観を変更するような工法は取らないこととなりました。沈下していた部分の床下根石下部にコンクリートによるベース補強を二か所行いました。この方法だとほとんど外観に変更は伴いませんでした。

(2)床下柱脚部分の根継ぎ
沈下の原因ともなっていた柱脚の腐朽は激しく、特に緝熈堂水屋部分、学市軒南側部分に関しては建物にとって危険な状態でした。腐朽しているためその柱が下がり、それに伴って下った部分の壁が膨らんでしいました。修理は新材への取り換えが一番早くて確実な方法でありますが、著しい外観の変更を避けるため、腐朽した柱の床下部分のみ根継ぎをして取り換えを行いました。この、人目に付く柱脚部分は依然通りの外観となっています。

(3)長押・鴨居部分の調整と敷居の取り換え
長押・鴨居部分は、長年の屋根の重さにより鴨居の中央部分が下がり、襖の嵌め外しが困難になっていました。そこを調整するため、仮に木材を組み屋根の重さを受ける準備をして調整を行いました。ボルトのような金属で梁と撓んだ長押部分を繋ぎ、持ち上げて真っ直ぐになるように調整しました。また、長年の使用によって敷居部分が掘れてしまっていたため、敷居の取り換が必要な場合取り換えを行いました。

(4)玄関まわり腰板の新調等
玄関まわりの腰板は風雨により腐朽していました。この腰板はすべてに節が入っていて、そのような材は一般に流通しないとのことで、大変に腐心して、新潟県産の木目も美しい赤杉の節板材を見つけて新調し取り換えることができました。古色を付けることも検討されましたが、木目の美しさを残すことを尊重して、防水の為のウレタン剤を塗布するのみにとどめました。

表玄関の小口張りの式台板も腐朽、虫食いが目立ち、取り換えが必要となりました。この既存の材が節入りだったため、既存の板から節を抜き、新しい板に節をはめ込む方法が取られました。

(5)左官関係工事
長押・鴨居の近くの土壁を持ち上げる際に障りがあり、必要最低限削った為、その部分の塗り直しの補修を行いました。また腰板のまわりや、材の取り換えを行ったところの土壁も同様に補修をおこない、また、学市軒南側の壁に関しては前述した通り、壁が下っていたため、全面的な土壁の塗り替えを行いました。

(6)襖・建具の調整及び腰張りの補修
不陸の調整や長押・鴨居の持ち上げを行った結果、今まで嵌っていた襖や障子などに調整が必要となりました。また、腰張りも工事の際に剥がした部分があり、その部分は張り直しました。

(7)古色調整
新調した部分で外観に影響のある所は古色を施して全体の調和がとれるようにしました。

(8)畳の調整
床組が締まった結果、既存の畳に調整が必要となりました。これを機会に畳表を新調しました。

最後に

緝熈堂は、茶会などで使用頻度が高い為、修復が必要性が認識されながら、取りかかれずにいました。種々の不具合が見つかり、放置できない状況であった為、大変時宜を得た修復となりました。全解体の修復工事は将来に託し、必要最低限の工事にとどめました。どの工事も数寄屋大工の腕が光る技術の高い工事でした。

重要文化財茶室「燕庵」改修工事終了する

藪内家を代表する茶室「燕庵」は平成23年1月より改修工事を開始し、同12月にすべての工事を完了しました。修理は、当財団が京都府教育委員会に委託し、同委員会が設計や施工の管理にあたりました。

修理の概要

本歌の燕庵は蛤御門の変の兵火で焼失し、現在の燕庵は慶応三年に摂津国有馬の結場村の武田邸から移築されたものです。移築から約150年経過していましたが、建物そのものは健在で、床下の換気なども良好だったため湿気による腐朽や白蟻の害も見受けられず、解体を伴う根本修理ではなく、部分改修となりました。

修理の概要は以下の通りです。


(1)覆い屋根の撤去
現在の燕庵には昭和20年代にトタンの覆い屋根が掛けられました。周囲の環境や消火設備も整ったため取り外しました。

(2)茅葺きの葺き替え
茅葺屋根の葺き替えは今回の修復工事の主目的です。燕庵の茅葺は昭和40年代に葺き替えた後、覆い屋根の下にあった為葺き替えは行われていませんでした。形は保っていましたが、しなやかさを失っていて覆い屋根撤去後には葺き替えが必要と判断されました。燕庵の屋根はとても細い口径の葭が使われており、とても上品な風合いとなっていて、今回もそれに倣いました。葭は新しいものと使われた古いものを両方使用しました。

(3)沈下等の調整
建物全体として健全ですが、部分的に柱が沈下して床が下っていたため襖の開閉に支障をきたしていました。そこで、沈下の著しい部分を持ち上げました。完全に不陸を直すと壁などに亀裂が入る恐れがあるため、全体にバランスをとり進められました。

(4)木部の修理
木材の痛んだ部分は、接ぎ木・埋め木と呼ばれる手法で既存の材を極力残したまま痛んだ部分のみに新材を補い修理しました。水屋上り口などがこの手法で修理されました。新材には古色を付けて見た目に調和がとれるようにしました。

(5)茶室内菰天井の修理
茶室内の天井は菰が使われています。これを一旦解いて新しいものも混ぜて新たに編み直しました。

(6)左官工事
壁などの痛んだ部分を塗り替えました。また、台所の竃が塗り替えられ、往時の通り戻す事ができました。

(7)表具の修理
茶室の襖も張り替えを行いました。また、茶室内の腰張り部分も貼り直しました。

(8)丸太の素屋根の構築
燕庵修復工事を進めるに当たり、全体をすっぽりと覆う素屋根を作りました。普通の足場材ではなく、丸太と番線で立派な素屋根が作られました。

(9)その他
そのほかに、障子の張り替えと、畳表の表替えをしました。

全ての修理が終了し、無事修復なった燕庵で平成23年の初釜を行う事ができました。来庵者は口々に「覆い屋根が取れてよかった。」「屋根が美しい!」と感嘆されていました。

重要文化財茶室「燕庵」改修工事終了する
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